【追悼と熱狂】『ベルセルク』。それは漫画ではない。俺たちの「魂」を削り出す、重厚すぎる「鉄塊」だ。

最終更新:2026年2月|読了目安:15分(熱量注意)

その剣は、あまりに大きすぎた。

「逃げ出した先に、
楽園なんてありゃしねぇのさ」

—— ガッツ(ロスト・チルドレンの章)

漫画を読んで、吐きそうになったことがあるか?
漫画を読んで、あまりの絶望に数日間立ち直れなくなったことがあるか?

もし無いなら、あんたはまだ「物語」の本当の恐ろしさを知らない。
三浦建太郎が生涯を賭して描いた、世界最高峰のダークファンタジー『ベルセルク』。
これを読まずに死ぬことは、人生における最大の損失であり、罪ですらある。

今回は、あらすじなんて紹介しない。
俺がこの作品から受け取った「業(カルマ)」と「熱」を、ただひたすらにぶち撒ける。

1. 「蝕」という名のトラウマ

『ベルセルク』を語る上で、避けて通れないのがコミックス12巻〜13巻。
漫画史に残る地獄、通称「蝕(しょく)」だ。

俺は当時、これを読んで震えが止まらなかった。
それまで積み上げてきた「友情」「夢」「希望」。
鷹の団という、家族のように大切な仲間たち。

それらが、リーダーであるグリフィスのたった一言、「捧げる」によって、文字通り「餌」として食い殺されていく。
信頼していた友が、神(ゴッド・ハンド)になるために、自分たちを生贄にする。

圧倒的な暴力。理不尽な蹂躙。
「助けて」という声も、「なんで」という叫びも、異形の怪物たちの咀嚼音にかき消される。
ページをめくる手が重い。見たくない。でも、目が離せない。

三浦先生の筆致は、あまりに残酷で、そしてあまりに美しい。
絶望の淵で、愛する女(キャスカ)を穢され、自身の腕を切り落としてでも抗おうとするガッツの姿。
このシーンを見た瞬間、俺の中で何かが壊れ、そして何かが生まれた。

「この漫画は、ただの娯楽じゃない。魂を削って読むものだ」と。

2. ガッツという男の「弱さ」と「強さ」

主人公・ガッツは、スーパーヒーローじゃない。
彼は常に傷だらけだ。体だけじゃない、心も血を流している。

復讐の鬼となり、毎晩襲ってくる悪霊と戦い、一睡もできない日々。
「ドラゴン殺し」という鉄塊を振り回し、化物を叩き潰すその姿は、一見すると狂戦士(バーサーカー)だ。
だが、ふとした瞬間に見せる、彼の「人間臭さ」に泣けるんだ。

「オレは……オレの場所で……たった独りの……鍛冶屋でいい……」

本当は、誰かと焚き火を囲みたかっただけなのに。
運命(因果律)がそれを許さない。
それでも彼は、神が決めた運命に中指を立て、泥水をすすりながら前に進む。

「祈るな! 祈れば手が塞がる!」

このセリフが、どれだけ俺たちの背中を叩いてくれたか。
辛い時、苦しい時、神頼みしたくなる時。
ガッツの傷だらけの背中を思い出すと、「まだだ、まだ剣は折れちゃいねぇ」と奮い立たされるんだ。

3. 描き込みの狂気:三浦建太郎という「神」

ストーリーだけじゃない。
『ベルセルク』の絵は、もはや「工芸品」の領域だ。

背景の兵士一人ひとりの鎧の装飾。
崩れ落ちる城の瓦礫。
怪物の皮膚の質感。

「そこまで描く必要あるのか?」と聞きたくなるほどの、執念の描き込み。
三浦先生は、命を削ってこの線を引いていたんだと思う。
だからこそ、絵から発せられる「圧」が違う。
スマホの画面越しでも、その熱気で火傷しそうになる。

今は亡き三浦先生。
物語は未完かもしれない(※現在は親友の森恒二先生らが引き継いでいる)。
だが、先生が遺した364話までの原稿は、人類の至宝だ。
これを読める時代に生まれたこと自体が、俺たちにとっての奇跡なんだよ。

結論:読め。そして戦え。

『ベルセルク』は、ただのダークファンタジーじゃない。
理不尽な世界で、それでも足掻き続けるすべての人間への応援歌だ。

職場が辛い? 人間関係がうまくいかない?
そんな悩みが、ガッツの背負う「烙印」に比べれば、どれだけマシか。
この漫画を読むと、不思議と生きる力が湧いてくる。
「あんな地獄でも生きてる奴がいるんだ。俺もやるか」と。

まだ読んでいない人が羨ましい。
あの衝撃を、初体験として味わえるのだから。

覚悟が決まったら、ページを開いてくれ。
そこには、あんたの価値観を根底から覆す「黒い剣士」が待っている。

「捧げる」——その一言を目撃せよ。

世界中に熱狂的な信者を持つ、ダークファンタジーの最高峰。
電子書籍なら、今夜一気に「蝕」まで到達できる。


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※グロテスクな描写を含みます。心臓の弱い方は注意。

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